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日々のあれこれ

東日本大震災から丸9年

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震災から9年

震災から9年

みなさん、こんばんは。

明日で東日本大震災から丸9年経ちます。

もう9年、まだ9年なのか人によって捉え方は様々だと思いますが、私としてはもう9年といった感じです。

地震津波原発事故と多重災害だった東日本大震災

9年経って復興を遂げたところもあれば、未だに復興の兆しすら見えない場所もあります。

そう考えるとこの9年は人によって本当に捉え方が違ってくるはずだなと思いました。

 

3月11日14時46分

震災当時、ちょうど家にいました。

地震が起きた時、2階にいて、揺れがいつもと違い長かったので、1階に降り、それでも揺れはおさまらなかったので、父親と一緒に庭に出ました。

庭に出ると揺れはさらに大きくなり、立っていられないほどになりました。

地面が裂けるんじゃないかと思うくらい激しい揺れで、こんな揺れを感じたのは後にも先にもその時以外初めてでした。

体感的には2分位揺れていたように感じました。

揺れがおさまって、家に入ると床に物が散乱して足の踏み場がない状態。

当時飼っていた金魚の水は揺れで半分くらいに減っていました。

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一時的に停電になり、水道は止まってしまいました。

電気はその後すぐ復旧したのが幸いでした。

電気が止まったままだったらかなりつらい生活を強いられていたでしょう。

本震のあとも大きな余震が続いていた時、やっと母が歩いて帰ってきました。

歩いて買い物に行った帰りに地震があったようです。

本来なら、母親の安否を気にすべきところでしたが、地震のあまりのインパクトに圧倒され、しばらくは母の安否を考える事ができませんでした。

ともあれ、無事に帰ってきてくれてよかったです。

地震の恐ろしさのあまり、母親のことを考えられなかったことで、当時自分はなんて自己中心的な人間なんだと自分を責めたりもしました。

あの頃はまだ若く、精神的に未熟だった自分。

この教訓から、今なら家族のことをもっと思いやれるはずだと今は思えます。

震災時に思ったのはもっとしっかりしないとということでした。

 

震災直後のこと

毎日のように余震は続き、また同じクラスの揺れがくるのではないかという怖さがありました。

震災の翌日の朝にはスーパーに並ぶ人々の姿があり、その中に自分と母親もいました。

なるべく日持ちするもの、レトルト食品やカップラーメンなんかを買った記憶があります。

まぁ、家には米もたくさんあったし、停電もなかったので、深刻な状況ではありませんでしたが、水道から水が出ないのがやっかいでした。

洗濯もできないし、風呂にも入れませんでした。

水道が復旧するまでの約2週間は、ちょっと遠くのコインランドリーで洗濯、親戚の家のお風呂で入浴といった感じの生活でした。

辛いと言えば辛い生活でしたが、もっと辛い思いをしている方々が多かったので、辛いとは言いづらい生活でしたね。

水の他に困ったのは、車のガソリンです。

一時的に流通が止まったので、ガソリンスタンドはどこも閉まったままでした。

スタンドにガソリンが来るという噂を信じて、長い車列に並んだものです。

満タンではなく、ひとり2000円分とか決められた量しか入れられませんでした。

ガソリンはとにかくないと困ります。

移動するには地方民は車が必要ですからね。

震災以来、ガソリンはいざというときのために、半分減ったら満タンにするよう心がけています。

給油を待つ車列

給油を待つ車列



 

原発事故のこと

私は福島県在住です。

原発から約60キロほど離れたところに住んでいます。

原発が水素爆発した時は、死ぬのかなと思いました。

これまで生きてきて死を意識したのはその時が初めてです。

放射能という目に見えない未知のものにしらずしらずのうちに侵されて死んでいくのかと思いました。

ガソリンも無いし、逃げるにしても、どこに行ったら良いか分からない状況でしたが、幸い、風向きもあって私の住む地域はほとんど汚染されずに済みました。

原発事故後、線量計放射能を測定してみましたが、もともとどのくらいあったのか分からないので、その数値が高いのか低いのか分からない状態でした。

まぁ、日常生活する上で心配のない数値でしたが。

原発周辺の地域は今も人が住めない状態の場所もあります。

除染などをして、人が住めるようになった地域もありますが、人はほとんど戻ってこない状況でもあります。

戻っても、インフラが整備されていなかたり、仕事がなかったりでもとの生活を送ることができません。

戻ってくるのは高齢者が多く、若い人は避難先で別の暮らしを始めています。

たとえ、線量が減って暮らせる状態になっても、人が戻ってくるとは限りません。

 

終わりに

東日本大震災当時のことについて書いてみました。

私の住む地域では震度6強という凄まじい揺れでしたが、幸い家の中がめちゃくちゃになる程度の被害で済みました。

家族も無事で何よりでした。

電気も一時的に停電しただけだったのでかなり助かりました。

断水が続いたのが最も大変なことでしたが、他の地域に比べると電気は通常通りだったし、恵まれていたと思います。

県外に避難したり、もっと大変な思いをした方が大勢いらっしゃると思います。

そして、まだ故郷にもどれない方だっています。

9年経ってもまだ苦しんでいる方もいることを忘れてはならないですよね。

 

 

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